2014/05/17 11:00:15

 どんな小さな一言にも魂を込めようと精を尽くすけれど、結局私が放った言葉たちはみな井戸の底へ吸い込まれるように静寂へ帰していく。彼らは目的を果たせないまま死ななければならない。彼らは声も出せずにただ消える。もしかしたら彼ら自身、自らに与えられた目的を理解できていないのかもしれない。コミュニケーションはそうしていつも、ほぼ確実に失敗に終わるのだ。それは悲しく虚しく耐えがたい。涙も笑顔も忘れてしまう。
 
 だけど生きているということは即ち音のある世界を諦められないということなのか。同じ結果になると分かっていても言葉を放つことをやめられない。言葉を受け止めてくれる相手をさがしてしまう。誰かが放った言葉に耳を傾けそれが静寂へ帰す前に受け止めることができればと思う。そういう希望を持つことをやめられない。