39度の朝

 扁桃腺とインフルエンザのダブルパンチで迎えたあの朝が,最後の高熱。ってことは18年間インフルエンザに罹らなかったし扁桃腺も腫れなかったということか。
 初期微動のときは熱なのか地震なのかわからなかった。すぐにやってきた本震で,近くの大きな地震ではないかと思ってテレビをつけた。神戸だとわかるまでかなり時間がかかった。
 自宅の電話は不通で,仕方がないので公衆電話へ。外へ出ると電柱は傾き破裂した水道管から噴水のような水が。
 公衆電話は長蛇の列で,1時間並んで会社に電話を入れた。高熱なので途中で意識が朦朧としてきて倒れないようにするのがやっと。京都の会社には通常通り電話が繋がった。今思えばそんなに無理して会社に電話など入れなくても良かったのかもしれない。真面目すぎる。
 今年は離婚するぞと思って迎えた1995年だったのに,相手の両親の家が半壊して住めなくなるという事態に私は激しく落ち込んだ。別に相手や相手のご両親を恨みに思っていたわけではなく,こんな非常事態に離婚話を持ち出すなんて? かといってそうしなければ自分の人生は止まってしまう。絶望的な気分だった。若かったな。

 何もかもが遠くなって,まるで別の誰かの物語のよう。
 おそらく二度と行くことはないと思うけれど,夙川の風景は好きだった。フィルムは高価だったから写真も何も残っていない。当時デジカメなんかがあったらいっぱい撮ったのにな。残念。