私の大切な故郷もみんな逝ってしまいます

 さだまさし(←特に好きではない)が歌っていた『防人の歌』の歌詞に惹かれ映画『二百三高地』を見に行ったのは高校2年生の時だった。私の母という人は,夕方以降の外出は恐ろしくて不可能,深夜ラジオや映画なんて不良の世界の娯楽だと思っているという,全くあり得ないお嬢様育ちだったので,真面目な映画だったにも拘わらず親に隠れてこそこそと見に行った。
 夏目雅子が綺麗だった。私は今でも夏目雅子の写真集を後生大事に持っているほど彼女が好きだったから,この映画で見たすがすがしい彼女の笑顔を30年以上経った今日もありありと思い出すことが出来る。…などという話はどうでもよくて,17歳だった私には「みんな逝く」ということは理論の上でしか理解できないことだった。

 お盆と年末年始。世の中が帰省ラッシュというもので日常から離れてゆくこのとき。
 みんなが故郷で過ごす特別な季節に帰省するということは,たぶんもう死ぬまでないのだろうと諦めている私は,帰省するべき故郷があるということがどれほど幸せなことかをこの時期いつも考える。帰省が楽しみだったのは20代までだったが,その頃の私にとって帰省というものはそれはそれは楽しみな特別の時間だった。ブルートレインの通路の席で,眠気を感じぬまま何時間も窓の外を眺めていなければならないほどに。
 よもや今の私に帰省が許されたとして,そこは既に,私が帰る場所,私が帰って安らげる場所ではなくなっている。私が文字通り「帰った」と思える場所は,時とともに永遠になくなってしまったのだ。

 生まれ育った土地に,未成年の時代を共に過ごした友人はもう誰もいない。もともと友人なんてほとんどいなかったので,半世紀も生きたのちにこうなることは目に見えていた。姉妹たちも既に故郷を去っている。彼女たちは共通の親を持っているという利害関係がある以外,私にはとても遠い存在で,元気にしていてくれればそれでいい。遠くない未来に親が他界したのちは,縁が切れるのかもしれない。
 そうして帰る場所も,故郷の思い出も,永久に手が届かぬものとなる。
 帰っても居場所がない故郷なら帰らぬ方が寂しくないのだ。東京はそんな人間を抱いていてくれる。せめて東京にいられてよかったと思う。

 静かになったSNSのTLの気配にそんなことを感じながら,私は明日も明後日も刻々とした日常の中で見送ろう。年末も年始もただひたすら日常の中で。