花いっぱいの枝を見上げて

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 数年前に祖母が他界した。あまり悲しいとは思わなかった。そうかやっぱりこの人も死ぬんだと不思議な気持ちだった。彼女は100歳を超える高齢で、90歳を過ぎてからも片道2kmを歩いて往復し図書館へ本を借りに行くほどの元気さだったから、いつまでも生きていそうな錯覚を覚えていた。もちろん錯覚だったわけだ。

 それから49日も過ぎた頃、彼女の家の前を通ったら、それは見事に美しく桜が咲いていた。そこに桜の木があることをずっと知っていたはずなのに、まるでその時初めて気付いたような気持ちで私はそれを見上げた。
 誰もいなくなった家の庭で、見てくれる主もいないのに、こんなに沢山の花をつけ力強く咲き誇っている。まるで彼女に手向けるように。その桜の木を見上げた時、私は初めて悲しいと思った。

 誰が生まれても誰が死んでも休むことない季節の巡り。
 私はこの先何度この季節を迎えることができるのかと、年をとってきたからではなく、18歳の頃からずっと、一つの季節が来る度にそう思いながら木々を見上げ空を見上げている。たった一度しかない今年の春、今年の桜、少しでも沢山おぼえていられるように過ごしたい。