私が持っているもの

 ずっとモヤモヤ、むしゃくしゃしている。高校の頃に所属していたクラブのことで。
 学校の設備であった天体望遠鏡が古くなって使えないらしい。だからOBでお金を出して買ってあげましょうと寄付の要請。なにそれ?と思った。ちなみに県立高校である。学校の備品は県の所有物だし、OBがお金を出して買ってあげるものではなかろう。

 でも、そんなことは置いておいても、「買ってあげましょう」は、ものすごく私の理念に反する。

 高校を卒業して30年。
 天文好きな現役の高校生に対して私の方が勝っていると確実に言えるもの、そして同じ趣味を持つ先輩だからこそできること、それはお金を出すことではない。長い年月をもって培ってきた経験を提供することだ。お金なんて誰だって出せるし、望遠鏡なんて天体観測に必至な道具ではない。まぁ観測対象によっては必要になってしまうが、高校のクラブ活動なら限られた環境でできることを工夫してやるべきだと思う。
 機材を持たない高校生に適した観測ノウハウの提供や、そういう分野での人脈を通じたアドバイスなら先輩としてするに吝かではないが、それをやらずにまず寄付というのは感心しない。私は賛成しないと言ったが理解されなかった。経験のある社会人ならこういう方法でサポートできると提案したが、わかってもらえなかった。まぁ客観的にも私はあのクラブ出身者の中で最も熱心に天体観測の分野に身を置いてきた者だから、機材もお金もなくて立派な観測をした人たちの事例を即座に幾つも思い出せるからこう思うのであって、他の人たちは私ほどのノウハウも人脈もないからお金を出そうと思うのかもしれない。

 腹は決まっているのだ。寄付はしないし声も出さない。私は故郷を去った人間だからそれでいい。
 ただ、それでも届いた寄付のお願いの封筒を見てひたすら憂鬱になっている。