つまらない吐露(ホントにつまらない)

 他人を思いやり、その誰かの負担にならず軽やかに幸せになれることをする、そういう存在になる、とは非常に難しいことだ。大抵は的外れな思い込みで、相手を困らせるか負担になるかだ。喋れば傷つけ黙れば苛立たせることになるようなもの。どちらに転んでも人と関わるということには残念な結果がついてくる。
 そういう不幸な結果を招いたことだけ覚えているから、成功した例は幸せにその場で忘れてしまうから、「大抵は」と思うのだろうかとも疑ってみるが、現状を見る限り、残念ながら、そうでもなさそうだ。崖の上で落ちる方角を見定めている状況に思える。迷っているうちに素晴らしい解答を思いつくと良いのだが。


 未成年だった頃は、自分は人間ではないのだと確信して逃げていた。人の間と書いて人間と呼ぶならば、人の間に入れない私は人間ではない。母親にそう言われ、母は私を叱咤するために言ったであろうに、言われた私はストンと腑に落ちて納得してしまった。私は人間ではない。だから人の間に入っていけないのだと。無理なのだから仕方がないと。
 中学や高校で友達を作れないというのはなかなか居心地の悪いことだったが、そう思うことによって精神を保つことができた。


 自分が人間であることも、私なりの方法で人の間にいることも、知って認めて久しい。が、何十年生きようと、難しいものは難しい。言葉を発する度に行動を起こす度にいちいち裏目に出る事実に疲れ果ててしまうが、それが私の感性ならば逃げられるはずもない。

 歯を食いしばって溜息を封じ込め、笑顔で自分のこだわりを切り捨てる。それだけを私の希望にすればよい。わかっているのに、結果的に他人を苦しめることになるこだわりをいつの間にか固持しているとはどうしてなのだ。何故そんなにばかなのだろう。ばかというのは治らないのだろうか。
 自分がばかであることに心底うんざりしている。