今日の私も明日はいない

 学生時代は週末の夜にオールナイトで映画を見るのが楽しみだった。土曜日が休みのような時代ではなかったので、午前中は大学で講義を受け、午後からバイト。就職活動のための資金が必要だった。そして20時頃から自転車で繁華街へ出かけ映画館へ入る。贅沢な時間。忘れられない映画は幾つもあるけれど、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はその中でも筆頭に上がる作品だった。
 
 ハレー彗星が地球へ近づきつつある年末だった。卒論実験で忙しかった。本当に時間がなかったから、けっこう楽しかったバイトも後輩に譲ってしまった。深夜の研究室で電子顕微鏡を覗いては無菌室で寒天培地の下準備を繰り返した。24時間サイクルの実験で自由に動ける時間はとても限られていて、その時間を利用して自動車免許の試験を受けに行ったり買い物したり食事をしたり、必要最低限の雑用を済ませた。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は映画館まで足を運んだけれど、どうやって時間を捻出したのだろう。誰と見たのだろう。ひとりで? 思い出せない。ただこれが、学生時代を過ごした街で最後に見た映画だった。マーティがよく知っている人に何だか似ていて忘れられなかった。物語の最後にドクとマーティとジェニファーが2015年へ飛んでいったけれど、未来は5年後も30年後も同じくらい遠すぎて。
 1989年。『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』はどこで見たのだろう。私の心は根無し草だった。居場所がなくて居場所がなくて週末ごとにどこかへ出かけて彷徨い歩いていた。マーティとそれほど変わらない年齢だった私は2015年まだ生きているはずで、だけど何も想像できない。車が空を飛ぶ時代に自分が存在することは、異質すぎて何だかあり得ない気がした。未来は想いを馳せることもできないほど遠く恐ろしいものであるということは少しも変わらず、それなのに時の流れというものはたまらなく魅力的で、それが人生を愛おしくさせているように思えた。
 
 常に未来は霧の向こうで、目をつむって「えいやー」と突き進んでいくしかないものなのだろう、少なくとも私にとっては。2015年まで生きた私はそう諦めている。
 
 2015年10月21日。こんな未来になってもこの映画は忘れられず世界中の沢山の人に愛されていた。ちょっと驚く。今まで数多のSF作品の舞台が過去になってきた。『1984年』も『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が上映された1985年には終わっていたものだ。そしてついに2015年10月21日も。
 学生時代に見た最後の映画。とっくに終わっていた青春時代というものが、もう一度終わるような、そんな、ちょっと寂しい気分だ。
 
未来は過去になる。あの日の君はもういない。今日の私も明日はいない。 #バックトゥザフューチャー #bttf