Yesterday

“都落ち”をためらうオッサンと“地元志向”の若者の意外な共通点
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120313/229785/?P=1


 「意外」かな?
 古今東西変わらぬ命題な気がする。故郷で愛する山河を愛でて過ごすか,都で一旗揚げて故郷へ錦を飾るか。

 肩書きは時に自分を守り支える。鼓舞させられることにより上ってゆける。見栄も意地も適度に大切だ。やみくもに否定する必要は無い。「都落ち」をためらうオッサン,ためらえるだけの状況を持っているなんて,アナタは頑張ったんだね。
 懐かしき故郷の風景は永遠に心の中で夢を紡ぐ。


 私は望みもしなかったのにたまたま東京に住んでいるので,落ちてみたら都だった感じ。故郷落ち?
 見栄と意地をそれなりに持っていた頃,「こんな日本の端っこに埋もれてたまるものか」(←地元で暮らす全ての人に対して非常に失礼)と思って故郷を出たものの,能力が中途半端な上に要領も悪いから大した道も切り開けず,帰りたくて帰りたくて帰りたくてUターンした。でも今更地元へ戻っても身の置き所がない感じ? そんなことを思ったせいか,10年も経たずまた都会へ,しかも東京のど真ん中へ流された。都会は人が沢山いる分だけ居場所がない私も目立たずに済む。群衆に埋もれて有耶無耶に過ごせるから意外と気が休まる。地元では目立つのだよ!

 肩身が狭いと感じるのは,まさに「仕事の違い職務の違いで優劣をつける」ことを無意識のうちにやっているからだろう。だが社会全体にそのような価値観が蔓延していて,他人から否定的なことばかり言われていては,自分を劣だと感じないのは難しい気がする。いや,これは責任転嫁。劣等感に縛られているから,肯定している他人の言葉まで否定に聞こえてしまうのだ。


 ささやかに生きていこう。
 自分の存在で何某かの役に立てるひとがこの世に一人でもいれば,それでいいではないか。
 アスファルトに落ちて溶ける雪の一片くらいの儚い喜びでいいから誰かに感じてもらえるなら,それでいいではないか。
 もう一度若者に戻れたとしても,私は私。それほど違った人生は送れない。たぶん。


     Oh I believe in yesterday   (Yesterday, The Beatles)