成人の日に思い出すひとたち

 成人の日は元服の儀に倣ってキチンと小正月にやって欲しいと毎年心から思ってハッピーマンデーにがっかりする私だが、実は自分は列席しなかった。住民票のあった街には知り合いもいなかったし、当日はたまたま地元に帰っていたし、地元からは招待状を貰わなかったし、あぁそうだ、例え地元から招待状を貰っていたとしても、地元に友人と呼べる同級生はいなかったし。
 同級生の皆さんが成人式に出ているであろう時間帯、私は今年のお正月に野生のシロクマの年賀状をくれた4つ年上のお姉さん的友人と一緒にプラネタリウムを見ていた。私が彼女を誘ったのだった。その日が私の20歳の1月15日であることをよくよく承知していた彼女だったが、快く一緒にプラネタリウムへ行ってくれた。今思えば人生のけじめとして式に出るべきだった。住民票のあった街で。でも私にそんな勇気はなかった。
 ただ、天の邪鬼で「成人式なんて」と意味もなく斜に構えていた私だが、その日のその時間帯に誰と何をしていたかまでしっかり覚えているということは、その間ずっと、自分が列席すべき成人式がこの瞬間に執り行われているという事実を忘れられずにいたのだと思う。


 その後、同じ境遇で成人式に出席しなかった友人が、成人式の記念品の漆塗りのオルゴールはなかなか良い品で、招待状を持って市役所へ行けば渡してもらえるから受け取りに行くと言うのを聞いて、一緒に行くでもなく、成人式の招待状を彼に預け「私のもお願い」と頼んだ。彼は快く引き受けてくれた。
 それから幾多の引っ越しを経たが、オルゴールは今もちゃんと手元にある。オルゴールをもらってきてくれた友人はなかなかハンサムな好男子で、就職後も近くにいたのでよく一緒に遊んだし、互いが辛い日に一緒に過ごしたりもしたものだったが、一度も恋愛関係になることはなかった。知らないうちに結婚していた彼は今や3児のパパになって、年賀状で見る限り幸せそうで、よかったねと思う。


 ハタチの頃から経過した年月を今の年齢に積み重ねた頃、私はもうこの世にいないかもしれない。それくらい遠い日々だけど、あの頃近くにいてくれた人たちは、今も記憶の中で変わらない。成人式には出なかったけれど、成人の日にまつわる思い出は私にもちゃんとあったんだなと、改めて友人たちに感謝している。今更言えないので、心の中で、だけれども。