年賀状がお歳暮がホームページの更新が

 師走だというのに海外になど行っているから、今年は本当に余裕がないことになってしまった。
 面倒な年賀状とお歳暮とホームページの来年の星空情報の更新が丸ごと手つかず残っているというのに、月食。しかも晴れそうとか、本当にしんどいし止めてくれないかな(^^;。
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 こんなことを書くと思いきり年齢がばれるわけだが、別に隠しているわけでもないのでまぁいいか。高校三年生で国公立大学共通一次試験(センター試験とやらの前世代ね)を1週間後に控えていた日曜日の明け方、皆既月食があった。あの頃の私は星と聞けば何をも捨て置いて優先する価値がある、自分にはそれが似合っていると宗教のように信じ込んでいたため、太陽と地球と月が一直線に並ぶ画期的な時間に受験勉強をしているなんてありえない、ましてや寝ているなんてありえないと、氷点下の凍てつく深夜に月食スケッチに励んだものだった。あの情熱は一体何だったのだろう。
 結局あまり気のなかった国立大学に合格してしまい行くことになった翌年の年末も皆既月食があった。私は故郷から1000km離れた新天地で月食を見上げる必要があるのだと信じ込んで年末まで下宿で過ごし、やっぱりやたらと冷え込む寒い夜、大学の仲間たちと写真撮影に励んだ。そういう自分が好きではなかったものの、当時はたぶん、それでも満足していたのだろう。自分の無能さに今よりずっと気づいていなかったから。


 あれからサロス周期もメトン周期もひとまわりして、知った日付に知ったような食分の日食や月食が巡ってくる。日付に胸の痛い懐かしさを憶えつつ、星を見上げる情熱も冷え込み、ただ情報過多な社会に翻弄されて、それを泳ぐ術を身につける気力もなくし、それに逆らうだけの価値も自分に見出せなくなったことを寂しく思う。今のところ、年齢を重ねて得たものよりも失ったものへの寂しさの方が勝っている。